葬儀に参列すると、入り口に立て看板が立っていますが、そこには「〇〇家葬儀」だったり、「〇〇家告別式」だったりと、表記が異なる場合があります。
では、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。
「葬儀」は仏教的な儀式
まず、「葬儀」と「葬式」は現在の語法としては同じ意味です。いわゆる読経、焼香などが行われるアレです。その2つに違いはありません。
もともとの「葬儀」とは、人が亡くなってから行う儀式全般を指し示すものでした。つまり、「通夜」も「火葬」も「埋葬」も『葬儀』でした。
しかし現在『葬儀』と呼ばれているのは、もともとの『葬儀』に含まれていた「葬儀式」の部分です。
この「葬儀式」の呼び方が、本来は全体を指し示す「葬儀」となってしまった地域と、“儀”が抜けた「葬式」となった地域があり、現在に至るようです。
そして、この「葬儀式」とは、仏教では“亡くなった人間を仏の元に送り、仏の弟子として旅立たせる”儀式であり、神道では“亡くなった人間を家の守り神にする”儀式であり、キリスト教では“亡くなった人間を神の元へ還す”儀式です。
それぞれ意義は違えど、“故人”と“残された家族”のための儀式として、宗教的な作法をもって執り行われるのが「葬儀式」です。
では、告別式はどのようなもので、なんのために存在するのでしょうか?
「告別式」は参列者のための儀式
「葬儀」が“個人と家族のためのもの”であるのに対して、告別式は主にその他の知人や友人のための儀式といって差し支えないと思います。
ざっくり言ってしまうと「お別れの儀」といったところです。
本来ここには宗教的な意味合いはありません。自宅での葬儀の際に、入りきれずに参列できなかった方へ向けて、焼香や献花だけでも参加できれば、ということから発生した儀式のようです。
芸能人の葬儀を連想してください。中に入れないファンの方達のために、外に献花台を設置したりすると思います。あれも要は告別式です。
宗教的な意味合いはありませんが、故人を偲ぶための儀式として定着しました。
では、なぜ「葬儀式」を「告別式」というようになってしまったのか?
合理化と数の力によって変化した呼び名
現在の「葬儀式」は、一連の流れの中に、「葬儀式」の部分と「告別式」の部分が乱立している状態です。
もともとは「葬儀式」が終わって後に、集まって頂いた方へ向けて「告別式」を行うという流れだったようですが、儀式の合理化によって今のような形に収まったと考えられます。
そして、「葬儀へ参列する人」と「告別式に参列する人」が一緒に並ぶことになり、現在の葬儀と告別式の境が無くなった状態になったのではないでしょうか。
そもそも人数で考えれば告別式に参列する人の方が圧倒的に多いはずです。
これもまた、葬儀を告別式と呼ぶようになった理由になっていると思います。
案内は多くの方へ向けるべきで、その多くが告別式の参列者ならば、立て札には「〇〇家告別式」と書かれるのが確かに合理的です。
そうじゃない!「思いやり」によって変化したんだ!
合理化がもたらした結果だと書くと、葬儀の宗教的な意味合いが薄れ、なんだか少し寂しい気分になりますが、現在の状況を考えると致し方ないと思います。
現在はほとんどの葬儀をホールで行います。日によっては、2件3件と連続で行われることもあります。そうなった場合、1件が占めることのできる時間は限られてしまいます。
その際に、滞りなく、なるべく多くの方にお別れを済ませていただくための配慮と苦労が今の形を作り上げたと考えます。
つまり、遺族か、葬儀業者さんかはわかりませんが、参列者への「思いやり」によって、今の形が出来上がったのではないでしょうか。